KOSRAE INTERNATIONAL AIRPORT
ここコスラエは、戦前日本軍が、前線基地として進駐(4,600名)していました。
戦時中、ここ大洋州は 激戦区。
当時から 結構 最近まで この島はクサイエ島と呼ばれていました。
現在は コスラエ島と改められています、また スリーピングレディ島ともよばれています。
クサイエの語源はなにか?
当然、戦時下ですから しかも、激戦区となれば多くの犠牲者がでました。
この島の至る所に 犠牲者が横たわったままだったそうです。
この暑い気候です。悲惨な状況だったであろうことは想像に難くありません。
・・・腐臭がたちこめて ”くさいね”この島は・・・。ということから
そう呼ばれることになってしまい 戦後も その名を引きずっていたのです。
勝手に 上陸し 多くの犠牲を出し 自らが その源をつくったにも
関わらず 日本は その島のことを 忘れていました。
しかも その島名は 地図に しっかり記していました。
私自身は これといって何の思想もありませんが、
どんな国であろうと、どんな人種であろうと
人として悲しいこと、嫌なこと、そして嬉しいことは 大抵、同じだとそう信じています。
この島の年輩の方々は かなしいかな 語源、由来をきちんと理解されています。
(現地語として 日本語がのこっています。)
人として 基本的な 忘れてはいけないものってなんだろう・・そんなことを ふと 考えました。
自転車で 20分ほどの レラ村へ
レラ村は
レラルーイン・・レラ遺跡があります。
大小、様々な石を きれいに切り出し何らかの方法で運び積み上げて造られた 城跡です。
島の人々は 精霊が、これをつくり そして、今もなお、この城跡には、
その精霊が棲んでいると言います。
ふとした横道をはいると、すぐ遺跡が目に入ってきます。精霊を煩わせないように
遺跡には まるで 手がつけられていません。
・・・遺跡の保護、整備、観光地化と 昔からの言い伝えのはざまで
レラルーインは 時間が 止まっています。
刻一刻と遺跡は崩れてきている事実を果たして島の人々はどう受け止めるのでしょうか・・・。
遺跡は 自然の力によって 自然に帰ろうとしているかもしれず、
けれど、惜しいなーと思ってしまいます。